5月1日から令和になり、新たな動きが出てきました。
日本政府が5年後に紙幣のデザイン変更を発表しました。
なんと、壱万円のことを「諭吉」というまでに、浸透していた壱万円の肖像が、福沢諭吉かさんから渋沢栄一(しぶさわ えいいち)さんに変更になるとのこと。
肖像変更は、2004年以来ですね。
そこで、お札の肖像はどのようにして選ばれるのか?、そして、渋沢栄一さんてどんな方なのかをご紹介します。
お札の肖像の選ばれ方
お札の肖像はどのように決められるのでしょうか?
国立印刷局に説明がありましたので、ご紹介します。
肖像をはじめとするお札の様式は、通貨行政を担当している財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の三者で協議し、最終的には日本銀行法によって財務大臣が決めることになっています。 お札の肖像の選び方には、特別な制約はありませんが、おおよそ次のような理由で選定されています。
・日本国民が世界に誇れる人物で、教科書に載っているなど、一般によく知られていること。
・偽造防止の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物であること。こうして、現在のお札の肖像は、明治以降に活躍した文化人の中から選ばれています。 現在発行されているお札について、財務大臣は改刷当時、「優秀な科学技術国家として、世界に寄与し続ける日本のイメージを表すものとして野口英世を、日本の社会で女性の地位が向上し、男女共同参画社会が進むなど、新しい時代の流れを表すものとして樋口一葉を採用した」と説明していました。
お札のデザインに肖像が描かれているのは、人の顔や表情のわずかな違いにも気がつくという人間の目の特性を利用しています。
出典:国立印刷局
お札の肖像は、日本人が誇るべき立派な人物であるとともに、偽造防止のためにも使われているんですね。
お札の肖像変更|二千円札は変更無し
お札の肖像変更は、
壱万円札、五千円札、千円札の3種類。
二千円札は変更がありません。
流通がすくないからでしょうか?
なお、500円玉はデザインが変更されるとのこと。
自動販売機業界は特需でしょうね。
お札の変更の時期
日本で初めてお札が発行されたのは明治14年の「改造紙幣壱円券」。
それ以降、17名の方が肖像になられています。
神功皇后 (1881年~)
菅原道真 (1888年~)
武内宿禰 (1889年~)
和気清麻呂 (1890年~)
藤原鎌足 (1891年~)
日本武尊 (1945年~)
二宮尊徳 (1946年~)
板垣退助 (1948年~)
高橋是清 (1951年~)
聖徳太子 (1930年~)
伊藤博文 (1963年~)
岩倉具視 (1951年~)
新渡戸稲造 (1984年~)
夏目漱石 (1984年~)
福沢諭吉 (1984年~)
樋口一葉 (2004年~)
野口英世 (2004年~)
1万円札に掲載された方は聖徳太子と福沢諭吉の2名だけ
聖徳太子 (1958年~)
福沢諭吉 (1984年~)
渋沢栄一さんてどんな方
渋沢栄一さんは、一言でいうと、日本の大企業をたくさん設立した方です。
生まれは、1840年2月13日。埼玉県深谷市で生まれました。
一橋家に仕え、後に徳川15代将軍となる徳川慶喜に使えました。
徳川昭武(徳川慶喜の弟)に随行し、パリ万国博覧会を見学。
その外遊中に、江戸幕府は終わりを告げ、明治維新を迎えたのでした。
渋沢栄一は明治政府で大蔵省(現在の財務省)に入り、国家の発展に奔走。
大蔵省を辞めて、実業家になり、日本で最初の銀行となる第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を開業し、頭取となります。
日本では、第一国立銀行を始めとして、各地にナンバー銀行が153銀行も設立されていきました。
現在も社名が残っているナンバー銀行
現在も、当時の社名が残っているナンバー銀行があります。
第三銀行 三重県
第四銀行 新潟県
十六銀行 岐阜県
十八銀行 長崎県
七十七銀行 宮城県
百五銀行 三重県
百十四銀行 香川県
このほかにも、東京ガス、日本鉄道会社、王子製紙、東京海上、秩父セメント、東京急行、東京証券取引所、キリンビール、東洋紡、明治精糖、帝国劇場などの設立に携わり、約500社の企業の設立に関わりました。
渋沢さんて日本の経済発展の基礎を構築された方なんですね。
渋沢栄一は韓国のお札の肖像だった
渋沢栄一さんは、第一国立銀行の頭取だったため、韓国の紙幣の肖像でした。
韓国マスコミは騒いでいるようですが、渋沢栄一さんは私利私欲が無く、地域の発展に貢献した人物だけに冷静に歴史を見て欲しいですね。